弘法大師が湧出させたといわれる温泉と名刹修禅寺を中心に発展した修善寺温泉には、鎌倉時代に源氏一族の興亡にまつわる歴史が刻まれており、多くの文化人が訪れ作品を残したまちとしても知られています。
このツアーでは、「ジオと温泉」をテーマとして、どうしてこの地に豊かな温泉が湧き出てきたのか、達磨山の山裾に湧出したジオの恵みがどのように人々に活用され、どのような変遷をたどったのかを考えてみます。修善寺温泉の歴史や文化にふれながら、ちょっと知的なまち歩きをお楽しみください。

エリア中伊豆エリア 伊豆市
地質時代約100万〜50万年前頃に噴火を繰り返した達磨火山の下にあった、約1500万〜1000万年前頃の海底火山時代の火山灰や軽石でできた岩盤
コースジオリア→ハリストス正教会→夏目漱石句碑→筥湯→渡月橋→修禅寺→竹林の小径→仁泉→赤蛙公園→温泉集中管理施設→滝下橋→とっこの湯公園
距離徒歩 約2km
所要時間約120分
難易度まち歩き
集合場所ジオリア
<MAP>
解散場所とっこの湯公園
<MAP>
参加費大人 2,000円 小中学生 1,000円
催行人数2名様~10名様程度
予約1週間前までに、ご予約ください
服装・持ち物など歩きやすい服装、履物(サンダル不可)帽子、飲み物など
注意小雨決行・荒天中止
キャンセルについては、こちらのキャンセルについてをお読みください
申し込み先ページ下部の「ご予約フォーム」よりお申し込みください

ジオリア

伊豆半島の成り立ちを振り返るシアター、各地の空撮映像、立体模型の上に地質や見どころなどを映し出すプロジェクションマッピング、赤色立体地図を楽しむことができます。
※時間の都合上、本ツアーでは館内の紹介は致しません。

ハリストス正教会

明治45年に建設されたロシア正教の教会。修善寺の老舗旅館「菊屋」に病気療養のために滞在していたニコライ大主教の病気平癒を願って信者たちが建てた。菊屋旅館の当主がロシア正教徒となった背景には安政の東海大地震で遭難したディアナ号のロシア人たちが関係していた徒との話が残る。

夏目漱石句碑

夏目漱石は、晩年胃潰瘍を患い、明治43年の夏、転地療養のために修善寺温泉に滞在した。その後容体が急激に悪化し、死線をさまよう事態となった。この事件は「修善寺の大患」と呼ばれている。

筥湯

かつて「修善寺七湯」と呼ばれる外湯の一つで、現在は立ち寄り湯となっている。鎌倉時代、2代将軍となった源頼家が修善寺に幽閉され、その後暗殺された場所が筥湯だったと伝えられている。元の筥湯は桂川の川岸に近い場所にあったといわれる。

修善寺白色凝灰岩

桂川が源を発するのは、50万年前に生まれた大型陸上火山の達磨山である。長い年月をかけて桂川が深い谷間を刻み、海底火山時代の地層を露出させた。露わになった古い地層の亀裂や断層から温泉が湧出したのが、修善寺温泉の始まりである。

修禅寺

大同2年(807年)弘法大師が創建したと伝えられている。寺宝の大日如来坐像は、運慶の弟子の実慶が制作し、北条政子が寄進したもの。国指定の重要文化財である。修善寺温泉は、修禅寺を中心として発展してきた。

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